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ミッセイ・ノート

2010年2月分

なんだったっけ・・・・

今、どうしても思い出せない単語がある。

最近、たまにパンを食べるので、
(もともとほとんど食べない)

それに合うスープがあればいいなと思った。
味噌汁はあわない。

それで、あっ、あれは好きだった・・と思いだしたのだ。

でも、名前が思い出せない。

「カイエ・ソバージュじゃなくって、鳳圭介じゃなくって、
 オートミールじゃなくって、えーーっと、」

 ・・・・・・・・・・・・・・・。


 そうだ、クラムチャウダーだ!」

クラムチャウダーでした。
エビとか貝が入った、クリームシチューみたいなの。

あれを瀬戸内の魚介でつくったらおいしいだろうなぁ。

クラムチャウダーが食べたい。

***

「おしらせ」にも書きましたが、
昨日発売の、「週刊文春」に笑い飯哲夫さんが(!)、
書評をかいてくださいました。
びっくり。

そういえば明屋書店の同期で、
帯にもコピーを寄せてくれた友達、タナベ君は、
僕の本の隣に哲夫さんの本を積んでいた。

風邪っぴきとサイン会

20日、21日と『ボクは坊さん。』発刊祈念の
サイン会、トークショウをさせて頂きました。
(大変好評で、発売、たちまち三刷りが刷り上がっています)
人が来てくださるか、不安だったのですが、
たくさんの人が来場くださりうれしかったです!
本当にありがとうございました。

ちょうど、
風邪をひいてしまいましたが、
なんとか、声が出てよかったです。


今日23日の愛媛新聞さんの文化面で、
またしても取り上げていただきました。

となりの記事が高野山大学にある
密教文化研究所の方の記事だったのも奇遇ですね!

しかし、
自分にとってはこの本は、

「スタート地点に立った」

ものであると思うので、
そういう気分を大切にしたいと思っています。

***

風邪とトークの準備などで、
オリンピックもあまり落ち着いて観ていなかったのですが、
カーリングをテレビで観戦しました。

「タイム」をとって作戦会議をしている声を、
ひろえるようになっているのですが、

仲間同士や監督にみんながガンガン意見を言ってるんですよね。
ほがらかながら、主張的に。

あれ、いいなぁ、と思いました。

ドイツの人で、
顔と叫び声がこわい人がすごかったです。


昨日は書籍のことで、
呼んでくださったFM愛媛さんの、

ニンジニア・ネットワーク
井坂彰さんの番組の放送が七時半からありました。

お寺はFMの電波状態が悪いので、
境内のマーチに両親、祖母と4人で乗って聴いていたのですが、

「なんか、心中しているみたい・・・」

と言ってしまうほど、
4人でだまって車内にいるのは、不思議な気持ちでした。

FM愛媛の皆さん、井坂さん、楽しい番組に呼んでいただいて、
本当にありがとうございました!


さて、今日(2月14日)は新聞各紙に『ボクは坊さん。』の紹介が、
てんこ盛りです。

全国紙に載せていただくことは、
初めてでしたが、すごくいい場所で大きなスペースを割いていただいていて、

この本にミシマ社と僕が込めた想いが、
徐々に浸透してきているようです。

アマゾンは一時的な品切れ状態ですが、
在庫納入済みということなので、
すぐに「在庫有り」になるはずです。
(ランキングもぐんぐん、あがってますねー。
 重版も決定しています。)


掲載は以下の通りです。
(すべて2月14日朝刊)

「朝日新聞」11面「著者に会いたい」
ー住職ってけっこう面白いですー

「朝日新聞」(愛媛版)30面「今週の1冊」
ー生活に生かす仏の教えを考えたー

「読売新聞」11面「本 よみうり堂」「著者来店」
ー若き和尚の奮闘記ー

「愛媛新聞」8面「ワイド愛媛」
ー人気サイトで7年連載のエッセー 新米住職の葛藤 本にー


すべて広告ではなくて紹介記事です。
どれも心のこもった記事で、
関わることの出来た記者の皆さん、
カメラマンのみなさんのことが目に浮かびます。

本当にありがとうございました。
なんとか、いい風を起こして、
この本とミシマ社のことをみなさんにも知ってほしいです!!

「途中の仏教」

自分の仕事がそういう時期なのか、

色々な人が訪ねてきてくださったり、
訪ねていって、

「お坊さんのこと」

「お寺のこと」

などを、
お話しすることが多い時期です。

結局、

と自分で確認するように、考えるのですが、

あらゆる仕事の相手に、

「ご一緒できて、うれしかったです」

というのが、
一番真ん中にある「ビジネス論」なんじゃないかとふと思いました。

仏教だってそうで、

もともと、「生きていること」「死ぬこと」

なんかが、素晴らしかったり、否定的なものではなくて、

「ここにいるのがうれしいです」

「ここにいることは、意味がありました」

という帰結へ導くための、"宗教”なのかと思いました。


これは、「途中」になったとしても意味があると思うのです。

「自分は、あそこを目指しているのだけど、途中なんだ・・・」

そういうスタンスに、意味があるのかと、ぼんやり考える日々です。


途中であることを誇るのではなく、
卑下するのでもなく、

ただ、自分が途中であることを見つめる。

「途中の仏教」

そんなものが、僕の今の「目線」なのでしょうか。

東京でのこと

東京に滞在して、

『ボクは坊さん。』の書店さん巡りや、
メディアへのご紹介、
そして、
お世話になった糸井重里さんや寄藤文平さんに
ご挨拶をしてきました。

色々な方にお話をしたり、
聞かれたりすると、

あー自分はこんなことを考えていたんだなぁ。

と思うことが多いです。

そして、
自分は言葉を持って、
仏教を紹介したり、使ったりすることが本道の仕事だと思っていること。

それがはっきりしたことだけでも、
色々な人に出会って、本当に面白かったです。


***

その中でも、
糸井さんと寄藤さんの空気感というのは、
やはり、本当にオリジナルで楽しかったです。

なんというか、
糸井さんの場合は、

まっさらさらの本音の部分でしか、
会話が成立しないので、
いつもとは違う次元で脳が踊り出すような感覚がありました。

寄藤さんは、
思っていたよりもずっと、
研究者的というか、
ひとつのことを、
しつこくポップに考えているような印象が強かったです。

その中でも、

「関係性」だけが人の間で立ち上がることは、
成立しにくい。(ミッセイ記憶)

のような話は何度も思い出すように思います。


ずっと一緒にまわってくださった、
三島邦弘さんの色々なお話を聞いていても、

本当に世の中には、
面白い人がたくさんいらっしゃるなぁ、と思います。

本当にみなさま、ありがとうございました!!

***

そんな中でも、
相当、面白かったのは、

一緒に仕事をした、
「ミシマ社」の雰囲気かなぁ。

三島さん以外と、
じっくりお話しするのは初めてでしたが、

とにかくみんなイキイキとしていて、
仲間のことを考えている。

せっかくご縁を頂いて、
仕事をさせてもらったのだから、
彼らの姿から吸収したいものが多いし、

彼らにも今回の仕事をしてよかったと、
さらに思って欲しいと思いました。

たくさん届けたいです、この本を。

自分に助けられる

自分が書いたり、喋ったりすることに、
助けられることって意外とあると思うのだ。

僕は最近、
このサイトにある「山ラジオ」という、
ずっと前に収録した「音」のコーナーを、
聞き直していて、

「いろんな人がいるのだから、
 楽観的にいってください」

という自分の声を聞いて、

「いやーそうだねー、オレ」

と思ったもん。

今回の『ボクは坊さん。』でも、

「ははは、おもろいな」

と読み返しながら(脳天気・・・)、

「あー、そーだねー、おれ!」

ということが、何度もあった。

人は、どんどん忘れていくし、

しっかりとつかんだと思っていた、
たしかな感触さえも、
そうであることがある。

自分に対して、正直な言葉を持つことは、
経験上、そんなに簡単なことではないけれど、

そういう言葉をつかまえ
留めてておけば、

後の自分を助けてくれることが、
けっこうあるのかもしれないね。


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