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ミッセイ・ノート

2010年6月分

「内」と「外」の両方を。

前から、
いつも考えていることなのですが、

「お坊さん」

にとって、

ミュージシャンが音楽をつくったり、
小説家が小説を書くようなことは、なにのか?

考えることが多いです。

***

今日、改めて強く思ったのは、

「残る物」をつくるような深度のある籠もった作業と、

「お寺」という場所を預かっていることから発生する、

「外」へ開いて、向かっていくこと。

その「両方」を自分はやりたいし、意識するべきだし、やるべきなのだ。

そんなことを強く思った一日でした。

とても、自分にとっては大事なことのように思えたので、
今日は、それだけを記します。

おいしいチョコレート


6月19日に33才になった。

33才って、なんだか、語呂がいいなぁ。

333才はもっといいけれど、
そこまでは、なかなかな無理だと思う。


むかし買った本が、
置かれている部屋の本棚を、
何気なくのぞいていたら、

柴田元幸さんの

『愛の見切り発車』という本の文庫本があった。

パラパラパラとベットに寝ころび読んでいると、

ポール・オースターのこんな言葉があった。

「答えを持っている人間というのは信用しないほうがいい」

***

「宗教とはなににか」

「現代における僧侶とは?」

そんなことを、聞かれる場面が増えてきた。

考えることは、面白いので、
ついつい、そのことがメイン・トピックのように、
感じてしまうことが多いけれど、

自分がしたいことは、

「おいしいチョコレートをつくるようなこと」

なんだと思う。


おいしいチョコレートとは何か?

という話を聞いて納得するよりも、

おいしいチョコレートを僕は食べたいな。

奈良の大仏

考えてみたら、
「奈良の大仏」を
観たことがない(拝んだことがない)、
という一大事に気付いて、
奈良に行ってきました。

行き帰りの、
電車の中は僕にとって、

寺にいる時とは、
また違った雰囲気で、

「自分のこれから」

「栄福寺のこれから」

について考えられる時間です。

本棚にあったノートをメモ代わりに、
持ってきていたのですが、
平成18年に書いた、
自分の雑記にこうありました。

「この気持ちをどうにかするには、
 ”書く”ことを仕事にするしかない」

・「今、足りない物」→光に向かうこと
 光とは→「自分が心から仏教・空海の思想をうれしく思い、 
      それを”本”で伝える」


そんな風な明確な想いを、
「本」に対して持っていたなんて、

4年前の自分に対して、
すこし驚いた気分でした。

奈良では、
ふらっと入った古書店で、
吉本隆明さんが四国遍路について
かいた文章を見つけたり、

予想外だったことに、
”あの”阿修羅像を観られたり、

気になっている宮大工集団の、
比較的新しい仕事が観られたり、

充実した日々でした。

奈良、平安時代の仏像もたっくさん観ましたが、

「すばらしい」

「残っていること自体が、すごい!」

と思いながらも、

「これだけじゃ、だめなんだ」

という思いもまた新たにした旅でした。

同行の同志に、心から感謝!!


ありがたいことに、
本を出版して様々な取材の方とお話しする機会があった。

それぞれの、
メディアによって、
立場も性格も違うけれど、

同じなのは、

「人」と「人」が出会って、話し合う。

ということだ。

NHKでも東洋経済でもマガジンハウスでも、
読売新聞でも、テレビ愛媛でも、
そこにいらっしゃるのは、「人」だったなぁ。

そのことが、忘れて語られそうな時、
考えられそうな時、僕はその「人」を思い浮かべたい。

それで、回避できる「気持ち悪さ」もずいぶん多いんじゃないかな?

「鳩山さん」も「小沢さん」も「エリカさん」も人ですよね???

今週は、
その中でも印象的な取材がある予定だ。

それは「北海道新聞」の大型企画と
僕の出身高校の「放送部」。

なつかしい近くの人や、
想像も出来ない遠くに住む人たちに向かって、
『ボクは坊さん。』は、
僕以上の僕になって、誰かに会いに行ってくれる。

それは、本当にうれしいことだ。

***

ある会話を聴いて、

「社長業」や「代表業」「経営」
にすこし目が向いたような気がする。
お寺にとっても、
とても大事な話だ。

どこか避けてきた話題でも、
あるけれど、

僕がもっと力を込めて、
「経営」のようなものを見つめた時、
それがたぶん、
すこし「異形」の経営になりそうなので、
自分でもそれは興味があるかもしれない。


僕は自分が「わからないこと」を、
相手に決めてもらうことが多く、
それは僕の大切な方法論でもあるのだけど、

経営のある場面においては、

「僕もわからないけれど、こっちへ行くよ。
 よろしくー」

と言う場面が大切になるような気がする。

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