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ミッセイ・ノート

2010年8月分

うまそう

何度か考えたことなのですが、

「バナナとかリンゴって、
 "そのまま”で、すごいうまいな。
 ”デザート”作るって、恐い仕事だな」

と思うことが、よくあります。

もちろん、

「そのままが、
 一番うまいんじゃ、
 つべこべ、小細工やらずに、
 そのまま食えー!」

なんてことが言いたいのではありません。

ただ、
「うれしい仕事」をするのは、

その、

「そのままの恐いほどのうまさ、素晴らしさ」

を知っている人なんじゃないかと、
漠然と感じています。

例えば、

「身体」って死ぬほど頭いいよなー、うまくできてるなぁ、

と、とことん知っている人が、
何かしら「恣意的」な身体技法の
新しいうれしい方法を見出したりするのかなー。

これって、
「心」にも言えると思うんです。

***

仕事中に、ふと、
達筆だった祖父がたまに言ってくれた、

「字がうまくないのはいいけれど、
 うまそうに書くのはよくない」

という言葉を思い出した。

笑顔を交わせたこと

盆行、棚経がなんとか終わりました。

14日に何度、
「般若心経」を唱えたか、

数えようと思ったのですが、
恐くなって、
数えるのを止めました。

***

13日は新盆で、
今年亡くなった方がいるお宅で、
お経を唱えたのですが、

両親よりも早くなくなってしまった娘さん、
僕も何度か行ったことのある焼鳥屋さんの奥さんの旦那さん、
僕の小学生の時の先生のお父さん、

亡くなった人たちの家族と、
一緒に「坊さん」という立場で、
しばらくの時間をご一緒していると、

本当に、
大切な役割を担わせてもらっているなぁ、
と改めて強く思いました。

色々と、
仕事やそれ以外で、

思い悩むこともあるけれど、

今日という一日、

偶然にも出会った人たちと、

悪くない雰囲気で、

笑顔を交わせたことを、

「ありがたいなぁ」

と、僕は思った。

びびる

お盆の季節がはじまる。

一件、一件、
お参りしていると、
体の具合がよくなった人、
結婚した人、
亡くなって会えなくなった人、

様々な人がいる。

信号待ちで、
知り合いのお坊さんと
偶然隣り合わせになったので、

窓を開けて健闘をたたえあった。

***


車を運転しながら、ふと

自分が「びびり」だからできた。

ということは、結構あるなと思った。

僕は、
「お坊さん」になった時、

「役に立たない」「おもしろくない」

と言われるのが、恐かった。
びびっていた。

だから、
がんばれた場面もずいぶんあると思うのだ。

でも、
考えてみたら、
最近、

「校長先生の話のように退屈」

というフレーズを耳にしたけれど、

そもそも、
お坊さんの話だって、
そういう風に感じている人もいるし、
自分だって、「受け手」の立場だったら、

特に期待したわけではないかもしれない。

「びびらない」ことを財産にしている人がいるように、
「びびる」ことだって、
時々、宝物になるのかもしれない。


素のサイズ

栄福寺にも盛夏到来で、
毎日が35度を越えるような気温だ。

それでも、
歩き遍路の方も何人か参拝される。

昨日は、
北海道から歩き遍路に来られた、
若い女性がおられた。

北海道の夏の夜は涼しいですよ、

そんなことを教えてもらったりした。


***

すこし前に、
糸井重里さんと矢沢永吉さんが対談されている、
NHKの番組をみた。

内容はすごく面白かったのだけど、
僕がふと、いいなぁと思ったのは、

冒頭ナレーションをされていた、
バンドSAKEROCK星野源さんのナレーションだ。

ミュージシャンなので、
もちろん、いかにも、

「ナレーションっぽい」

雰囲気にはあえてしていない。

こういうのを聞いていると、

映画監督、河瀬直美さんの演出や、

ジブリがなぜ、
声優に専門の人以外も使いたがるかが、
よくわかるような気がする。

今、
僕たちの社会や生活の中で、
ちょっぴり足りない成分があるとしたら、

おおげさなものよりも、

「素」

のようなものの「サイズ」なのではないかな、と考えた。

これは、難しい話で、

「素のもろだし」

だと、また、とても生活しづらいような気もする。

"ウソ”や体面に素を混ぜながら、

素に強がりや妄想を加える。

意識的にそんなふうに生活したい。


***


そんなことを考えてると、

「坊さんに慣れる」

というのも、いい話ばかりじゃないねぇ。

気をつけよう!!

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