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ミッセイ・ノート

「途中の仏教」

自分の仕事がそういう時期なのか、

色々な人が訪ねてきてくださったり、
訪ねていって、

「お坊さんのこと」

「お寺のこと」

などを、
お話しすることが多い時期です。

結局、

と自分で確認するように、考えるのですが、

あらゆる仕事の相手に、

「ご一緒できて、うれしかったです」

というのが、
一番真ん中にある「ビジネス論」なんじゃないかとふと思いました。

仏教だってそうで、

もともと、「生きていること」「死ぬこと」

なんかが、素晴らしかったり、否定的なものではなくて、

「ここにいるのがうれしいです」

「ここにいることは、意味がありました」

という帰結へ導くための、"宗教”なのかと思いました。


これは、「途中」になったとしても意味があると思うのです。

「自分は、あそこを目指しているのだけど、途中なんだ・・・」

そういうスタンスに、意味があるのかと、ぼんやり考える日々です。


途中であることを誇るのではなく、
卑下するのでもなく、

ただ、自分が途中であることを見つめる。

「途中の仏教」

そんなものが、僕の今の「目線」なのでしょうか。

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