文章というヌード
今日は日天(にってん)さんの縁日ですので、
徒歩とバイク(カブ)でお札とお餅を配ってきました。
なんだか、
体がなまっているのを実感しました。
途中でキュウリとブルーベリーを
農家の方から頂いたりしながら
ふと山を見上げると、
「いつかこんな風になりたい」
と思うことが、
僕自身、とても多いけれど、
「一日一日を、楽しむ」
そんなスタンスも大事にしたいな、と思いました。
それは瞬間、瞬間を楽しむ、味わう、ようなことでも
あるのでしょうね。
***
最近、
「文章を書くコツってあるんですか?」
と何回か聞かれた。
こんな脱力ブログを書きながおこがましいことだ。
でも、
そんなこと、考えることはほとんどないけれど、
その人に伝えたことは、
「できるかぎり正直に書くこと」
だった。
僕はその人が好きだし、
考えていることも色々な人の興味が持てることだと思う。
ただ、
文章を見せてもらうと
「どう思われるだろう」
「立場もあるし」
という気持ちが強く感じられるような
気配を僕は感じた。
(これはお坊さんに多いような気もする)
僕も当然、
「どう思われるだろう」
「立場もあるし」
と考えることもあるけれど、
できる限り「さわやかな素」のようなものが、
めいっぱいあるような文章が書きたいと思う。
細かいテクニックよりも、
その前にある、
文章を前にした、
「ヌードになる覚悟」
のようなものが、
僕の「文章術」なのかもしれない。
ヌードと同じように、
見る人のサービスにならないような、
過激さは、
あまりうれしくないよね。
「そういう人もいる」
のも、また当たり前だけど。