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ミッセイ・ノート

冷凍イカの香りから考える

瀬戸内海の大島に、お坊さんたちで、
子供合宿をしました。

なんだか、とても気温が高く、
心配していましたが、

島遍路を体験したり、
ドッチボールをしたり、
法話をしたり、

自分自身も子供と話したりしていると、
なにか、おもしろいです。

***

今日は両親が不在だったので、
昼ご飯にラーメンを作っていました。

お肉を入れようと思ったのだけど、
なかったので、

冷凍していた、
イカの一夜干しを入れました。

人生初体験です。

相性は可もなく不可もなくといった感じなのですが、

大きな問題点は、
イカが少し、冷蔵庫の味が付いていたことです。

僕はこの「冷蔵庫の味」がとても苦手です。
(想像できますか)

で、
考えたのですが、

最初、食べた時に、

「あきらかに、
 最初からうまくはないもの」

ってありますよね。

たとえば、

イカの塩辛とか、
くさやとか、
コーラとか、
お酒とか、

って「初めて食った」

時に「うまい」と感じる人って、
ほとんどいないと思うんです。

では、
なぜ食べ続けるかというと、

「経験則から"うまくなった”と、
 言っている人が、 周りに結構いる」

からだと思うんです。

ホルモンとかゲテモノ系を嫌う女性が、
結構おられますが、

あれは、
ある見方から言えば、

「自分の直感を信じている」

違う言い方をすれば、

「基本的に他人を信用しきっていない」

のかな。
と思いました。

相対的に、
女性にそういう傾向が、
多いように感じるのは、

子供を、
他人がどうのこうのではなくて、

自分の感覚をもってして、

「生きのばさせる」

強い意志があるからでしょうか。

なんて想像しました。


脳が「うれしい」と感じるのは、

「いつもと同じだ!わーい」

という感覚と、


「わーい。これって初めて!」

という二系統が存在するように、
僕には思えて、

「うれしい」

という感覚の不思議さについても、
しばらく思いを馳せました。

しかし仏教は、
(僕が思うには)

この、

「うれしい」

というものに従属的な生き方を、
根本的に見直そうとした"試み”のように、
感じることもたまにあるし、

密教は、

「うれしい」

を使っても、
同じ場所にいけるよ。

という提言のようにも感じることがあります。


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