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ミッセイ・ノート

エゴイズムに満ちた技術(長いよー)

 夜、ふと本棚から何年か前の雑誌を持ち出してパラパラと読んでいたら、内田樹さんが医療について書かれていた文章に惹きつけられた。
 結構、ロング・インタビューだけれども、最後の部分だけを読んでも、これから僕たちの生活の中での「仏教」に対するヒントが溢れているような気がする。ちょっと長いけれど、「写経」するつもりで、引用してみよう。
「子どもを見ても老人を見ても病人を見ても怪我人を見ても、“これは自分かもしれない”っていう想像が働けば、自分はどうふるまえばいいのかということは自ずからわかるはずなんです。でも、自分は子どもでも老人でもないし、病人になることも怪我人になることもないと信じ込んでいる人にはそれがわからない。そういう人の眼から見ると、弱者というのは、すべて邪魔者に見えてくる。でも、弱者っていうけれど、幼児も老人も病人も障害者も、それは、時間差のある自分自身なんです。人は誰もかつて幼児であったし、いつか老いていく。高い確率で病人になり、障害者になる。だから、ここにいるこの人は、私の昨日の姿かもしれない。明日の姿かもしれないというふうに想像が働くはずなんです。そういうときにフェアな態度をとるためには、別に破格の克己心なんか必要じゃない。“これは私かもしれない、だから、この人の治療を優先しよう”というのは想像力をともなったエゴイズムなんだから。自分自身を救うために救える限りの他人を救う。論理的にはそうなるはずなんですよ。そういう想像力の使い方が今はみんなものすごく下手になっていますね」(「SHIGHT」2008,AUTUMM,ロッキン・オン)
 中沢新一さんの本だったか、ネパールの僧院の子供たちが集団で牛の屠殺場を訪れて、死んでいく牛をひたすら見続け、それが前世、自分自身の母親だったかもしれないことを思い浮かべることで、自分の心の中にある慈悲を見出す、といったシーンがあったように記憶しているけれど、そんなことを思い出した。
 僕の印象では、仏教では「私」という範疇がさらに、曖昧で、だからこそ浸透したり融解したりする動きがあるように感じているのだけど、内田先生のこの言葉は、「生活仏教」のヒントになるなぁ。
 と思っていたら、今朝の朝日新聞、土曜版「be」に、内田先生登場である。「大学は、建学の理念のようなきれいごと、建前論をもっと打ち出すべきですね」
 これは、もう、仏教も本当にそうだと思った。今の僕に僧侶としてのキャッチコピーを付けるとしたら、「綺麗じゃない私が、今から、綺麗事を言いいます」とでも、言いたくなる。
 えーっと、今日のミッセイ・ノートは長いのである。
 少し前に、東京の書店を編集者の方と挨拶回りをしていた。そこで、書店の女性と「私、厄年なんですよー」と世間話をした。僕は、坊さん。なので、こういった話になることは、結構多い。その女性と別れた後、編勇者の方と「厄って、本当にあるんですかねー」という話になった。そこで、出た話は結論から言うと「想像したことは実現しやすい」という論理であった。彼は内田先生と交流が深く、その話も織り交ぜながら語られる話に、「はー、なるほどなぁ」と深く膝を打った。そのことを、僕はおりに触れてよく思い出すのである。
 先日の散歩の中で、その事をまた考える機会に巡り会った。
 僕は、身体のバランス感覚を調整しようと、車道と歩道の間にある高さ15センチ程のブロックをずっと歩いていた。ほとんど小学生の登下校風景である。関係のない話だけど、僕はこのブロックに高校生の頃、自転車でまともにぶつかったことがあって、死ぬほど肛門が痛かったことがある。「血が出たかもしれない」と思い、家に帰ってパンツを脱ぐと、驚くことに、血は出ていなかったが、パンツが破れていた。本当の話である。
 そのブロックを歩きながら、「もしここが断崖絶壁で、足をすくめながら歩いていたら、落っこちる可能性は格段に上がるだろうな」と思った。そして、それが「想像することは、実現する可能性が上がる」ことでもあるなと思った。
 他のことも考えた。「落ちる」時と「落ちない」時の、身体的な違いってなんだろうと思ったのだ。それをひとことで言うと、「力が入って、関節や筋肉のあらゆる場所が堅くなっている」ことだと感じた。
「力を抜いていけよ」
 スポーツの経験のある人であれば、コーチからこういうことを言われた経験は一度や二度ではないだろう。そして、必ず思っていた。
「それができりゃ、苦労しないよ」
 しかし、大事な場面や絶体絶命の場面で、「能動的に力を抜く」という「エゴイズムに満ちた技術」というのが、ここでも必要とされそうである。
 これも、“仏教関連事項”にメモだなぁ。「心と身体に能動的な弛緩を求める際の技術」そういう風にも仏教を捉えられるね。

***

i-Pad、ちょっと欲しいなぁ。

母がニュースをみて、

「twitter買うの?」

と言っていた。
それぐらいの感性がちょうどいい気もする。


YouTube: iPadの説明するけぇ、よう聞きんさい。

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