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ミッセイ・ノート

特別な日を思い出す

 以前、しばらくブログを毎日書いていた時があった。

 なかなか、心理的に「どうなんだろう?」と思うこともあったけれど、いいこともあったように思う。そのひとつは、「いつ、なにがあったかを」を、メモのように残しておけることだった。

 出版社ミシマ社の三島邦弘さんが、初めて栄福寺を訪れてくださった時、その日、自分にとってどんな1日だったかを、ふと思い出したくなって、日記をさかのぼってみた。

 日付はマックの「iPhoto」で、二人で撮った記念写真を探し出して、その日を見ればすぐにわかる。それは、2008年9月20日だった。その日のブログのタイトルは「特別な日」。

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「特別な日」


昨日は、
テレビの収録の後、
なんだかんだで、
ぐったりと疲れたのですが、

夜は今治市が主催する講演会に行ってきました。

市がやっている色々なサービスって、
知らないものがけっこう、あるんですねぇ。

***

今日は、
自分にとって、
とっても特別な日だったと思っています。

結構、遠い先まで、

「今日という日」

を憶えているような日になるような予感がします。
そうなって欲しい。

***

気候の方も、

「台風一過」で気持ちのいい天気。

ちょっと、
頭を動かしすぎて、
頭に血が上ったような感じだったので、

夜に父と一緒に、
犬のサクラの散歩に行きました。

サクラも妙に興奮していた。
(これはいつもだけど。)

_____


 僕にとって、今となっては本当に特別な1日だったけれど、僕はもう、その瞬間にその日が特別な日になるなんて、知っていたんだな。人間の直感は、馬鹿にならない。
 
 少し前に、しばらく人と一緒に時間を過ごすことがあった。僕にとっては、多くはない、心の中身をほとんどどそのまま見せられる人だ。その時に、

「本のこと、届いているみたいで、よかったね」

 と言われた、

「うん。でもね、本当に三島さんに感謝だよ。それに尽きるよ。
 色々な人に助けられてきたけれど、心からそう思える事って、本当に幸せなことだね」

「うん。本当にそうだね」

という会話をした。

 聖職者と時々呼ばれる僕が、自分でも言うのもなんだけれど、僕は穏やかなばかりの性格ではない。
 時々、そう言われるのは、そうでない自分をよく知っているので、出来る限りセーブしているからだと思う。

 でも、心から穏やかな気分で、そういう会話をさせてくださった、ミシマ社のメンバーと三島さんに出会えたことが心からうれしい。

 また呼んでもらえたら、力いっぱい、おもしろいこと、うれしいこと、したいな。

 母が撮ってくれた二人の写真は、設定がおかしくなっていて、最初の何枚かは心霊写真みたいだ。でも、今見かえすとその時の自分の気持ちがよく表れている気がする。

 河合隼雄さんに教えを受けた箱庭のセラピストの方がおっしゃっていたけれど、大切な箱庭の写真を撮る時には「不可解な光」が映り込むことがよくあるらしい。

「不可解な光」って、なんだかいいな。

なにか物語の始まりのようだ。


100511

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