「仏教タイムス」寄稿記事
仏教タイムス(2012年、9月20日号、2504号)の、
「想像する、ワクワクする」白川密成
最近、「子供が子供のいのちを奪ってしまう」という事件を聞くことがあります。たとえばいじめの問題です。それはテレビや先生の話を通じて、みなさん子供たちの耳にも入っていると思います。多くの人にとってそれは、「遠くでおこった関係のない話」ではないでしょうか。しかし、本当はいつそれがあなたの身近で起こっても不思議ではないのです。「いのちを奪う」のは、もしかしたらあなたかもしれないし、「いのちを奪われる」のは、大切な友達かもしれません。それは大人でも同じことです。
今年、私には自分の子供が生まれました。将来、その子供が誰かのいのちを奪ったり、奪われたりすることを想像すると、それ以上の悲しみはないと思えるほど悲しいと思います。
「想像する」ということは、たいしたことのないことだと思っていませんか。私は、そうは思いません。私やあなたは、たぶんもっと想像したほうがいいように思うのです。そして想像することは、簡単なことではありません。
落ち着いてまわりを見渡し、深呼吸して、ぐっと集中して、心を見つめなければなりません。そして、それは他のだれかではなく、あなた自身がひとりでやらなければならないことです。
ここで、とても古い仏教に残されている言葉を紹介したいと思います。
「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛おしい。自分の身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ダンマパダ』一三〇)
だいたいの意味はわかりましたか。「自分だって、いのちは大切でしょ?私だって、当然そうです。だから殺されるのが、自分のことだと想像してください。わかりましたね。殺してはならないのです」私は、こんな風にこの言葉を理解しています。「想像すること」は時に、誰かのいのちを救うことだってあるはずです。自分のまわりの人や物事、そして自分自身に耳を澄ませ、傷ついてはいないか、想像をしてみてください。
しかし考えてみると、多くの人が、よろこびながら誰かのいのちを傷つけてはいないように思います。やりたいわけではないけど、ついイライラしてカッとして、言葉や行動に出てしまう。私だってそういうことがあります。
自分を振り返って考えてみると、そういう時は、こころがワクワクしたり、ほっとしたり、夢中になったりしていないのです。「いのちを助けるためには、いのちを輝かせること」私の感想ですが、そんなこともあなたにお伝えしたいことです。