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思い出す空海

6/21 第3回「"わからない”という表明」

「するとわが心は大日如来に通じたのであろうか、
 真言の深妙な教えに接することができた。
 しかし経文を誦しても、一向に理解できない。
 そこで教えを求めて中国を訪れようと決心した」
(弘法大師空海「遍照発揮性霊集 巻第七」現代語訳)

「精誠(せいせい)感(かん)あって、
 この秘門を得たり。
 文に臨むも心昏(くら)し。
 願って赤県(せきけん)を尋ぬ」
(同上、漢文、書き下し)


 弘法大師が密教に初めて出会った時の、
 印象的なシーン。

 ここでの空海の態度は、
 とても大事な示唆があるように思う。

「わからない」ときちんと表明していることである。

「ここにはどうにも、大事なものがあるに違いない。
 しかし、自分には、いま、わからない」

* **

「わからないと言う事なんて、
 あたりまえじゃない?」

そうだろうか?
僕たちは、ついつい、「わからない」ことを、
「わかったこと」にしていないだろうか?

自分を振り返ると、
そんなことが、無意識にいくつもあるような気がする。

「わからない」

そこから始まることもずいぶん、多い気がした。

思い出す空海
弘法大師・空海はたくさんの書物や詩を残しています。その中でも、僕達の生活に響く言葉や、密成住職の好きな言葉をショートエッセイと共にお届けします。