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仏を感じるコトバより

第3回「瞑想の目的」

"いかなる場合でも、「瞑想」全体の目的は、自己中心的な態度を減退させて除き去り、同時に他の命あるものを大事に思うあなたの心を促進させて強固にすることにあります。”(ダライラマ『他者と共に生きる』)

ダライラマの言葉です。
自分の中で、

どこかストイックでない、
仏教のことを、
カジュアルに考えたいという想いが増してきて、

以前よりも、
すこし法王猊下の著作から距離をおいてきたように思います。

しかし、

「少しずつでもやる仏教」

を考えようとした時、

やはり「自己」「自分」の問題の、
根本にぶつかるような予感がしています。

それは、
ソフトでもゆるくても、
どんな仏教であっても、
どんな人生でも、
避けては通れないトピックのように思うのです。

「私」

の話題は、
生きている私たちが、

「死」

のことを感じようとする時にも、
必ず登場するでしょうね。

引用した言葉は、
一見、倫理的や道徳的な言葉にも響き、
またその通りでもあるのですが、

僕は、
個の生命の存在論のようなものに
結びつけて考えられるように思っています。

仏を感じるコトバより
ある言葉をきっかけにして、ふと考え始めた事をメモのように、書いておこうと思います。