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続・坊さん 仏教をやってみよう。

第1回 慈悲のレッスン

続・坊さんスタートです

この「続・坊さん」は、
タイトルの通り、
「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載させて頂いていた、
「坊さん」の続編という気分もあるのですが、

ひとつの通しテーマのようなものを
設定しようと思いました。

それが、
サブタイトルにもなっている、

—仏教をやってみようー

というテーマです。

これは、
このウェブサイト「山歌う」(やまうたう)
全体のコピーにも、なる予定です。

今、お寺やお坊さん仏教が
「やるべきこと」
をぼんやりと思い浮かべて、

「自分が、できるかもしれない事」

と照らし合わせてみると、
この事が、一番まっとうで、
自分もうれしそうだと思ったのでした。

しかし、
あまり気難しく考えずに、
日々、思った事や、
栄福寺で起こった事、企画した事を、
みなさんに報告しながら、

ブログ(ミッセイ・ノート)とはまた、
違ったペース、雰囲気で、
ゆったりと書いていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。

もしよろしかったら、
どんな簡単な短い言葉でも感想を頂ければうれしいです。


ブログでも、少し紹介しましたが、
栄福寺ではお袈裟(けさ)の色をした、
首からかける小さな布を制作中です。
(袈裟ではありません。)

これは、
今までよりもちょっと意識的に、
自分から、

「仏教を考えています。」

ということを、
まず自分や誰かに表明する事で、

「じゃあ、自分にとって仏の教えってなんだろう?
 もう、ちょっと、
 じっくり考えてみようかな?」

と感じてほしいという意図があります。
僕自身もそういうことを、
もっと考えてみたい、という気持ちがありました。


空と慈悲の心?


今回は最初ですので、
ちょっと、
全体的な事を書きたいと思いました。

少しかしこまったような響きの言葉に、
なってしまいますが、

「慈悲の心を起こすこと」

そして

「空性(くうしょう)の理解」

についてです。
(今後、わかりやすいので「空“くう”の理解」という言葉を使います。)

逃げたくなってしまいましたか。

でも、やはり、
僕の学んでいる大乗仏教では、
その事がすこぶる大切なテーマになっていると、
感じています。

この言葉をまったく知らない方
(少なくないと思います、
 そして、そのような方が、
 もっともこの連載にふさわしい方です。)

のために、
もっと簡単な言葉であらわそうとするならば、

「自分以外の他(者)を
 利益しようとする心、行動」

が慈悲の心だと、
僕自身はイメージしています。

空(くう)については、
ここでスパッと本当に、
誰もが納得するような形で説明できたとしたら、
僕は大乗仏教の大修行者のはずですから、

そうではない僕には、
なかなかうまく説明できません。
(完全に「理解」していたとしても、
 大変な達成だと思います。)

だから、深く知りたい方は、
「中論」や「大般若経」「般若心経」や、
それを解説した書物を、
読んでみてください、

とだけ言ってしまうのも、
お坊さんとしてあまりにも切ないですから、
少しだけ言葉にしようとするならば、

「“自分”を含めたすべての存在には、
 それだけで、個別に存在し得るような、
 自性(じしょう)はないことを知る事。」

が空の理解だと感じています。

わけがわからないですか。
僕も心の底から理解しているかと問われたら、
あやしいものです。

もっと、
簡単な表現を自分の中から探してみると、

「自分」という“わくぐみ”が、
普段、僕たちが考えている、
“わくぐみ”とは全くちがうようにも、
とらえられること。

そして、それは「自分」だけでなく、
すべての存在でそうであること。

そして、
その普段当たり前に考える
「存在」「自分」という考え方さえも、
かなり怪しいぜ! 
ということ。

そんな言葉を思い浮かべます。

空という概念は、とても難しく、
それを安易に「わかった」ことにしないで、
繰り返し考えることが、
とても大事な事だと、
教わった事がありますので、
僕たちもそうする事にしましょう。


空のレッスン、死のレッスン


そして、
僕はこの「慈悲の心」と「空の理解」が、
とても深く結びついていると思っています。

つまり慈悲を起こして、
実際に行う事が、

「空の理解のためのレッスン」だと感じるんです。

また、
これは暴論なのかもしれませんが、

「死のレッスン」でもあるとも想像します。

そう考える事で、
慈悲、他を利する心や行動を、
起こしやすくなると。

なぜ僕が、そう考えるかというと、

「空」において、
「私」という今までの価値観は、
とても、あいまいになります。

でも、
僕たち動物は本能で、
「私」という存在を生かし守ろうとします。
そうですよね?
(それはとても大事な事だと個人的に思います。)

そこで、
”実験”のような気分で、
慈悲を起こして、
1個の生物の本能としては、
ある意味、矛盾するような行動をとる事で、

ある概念があやふやになるのでは、ないでしょうか。
それが「私」という概念ではないかと想像するんです。

その時の感覚が、
「空」という世界の捉え方の、
支えになると感じました。

そして、それは、
仏教では輪廻転生を含めて、
いくつかの死生観を持っていますが、
(これは仏教の中のグループ、宗派によっても、
 大きく異なります。)

僕が今、
自分の頭だけで想像し得る、
「死」というものとも関連していると感じるんです。

「死」によって、
僕たちは「私」という概念を部分的だとしても、
離れる可能性があるように想像します。

生きている間に、
慈悲を起こした状態で、
空を感じる事で、

なんとなくの直感なのですが、

そういった状態が、
今までよりも想像しやすく、
死の恐怖をやわらげる力があるように思うんです。

それは、とても宇宙的なフィーリングでもあると思います。


宇宙が考えている!


お寺の近くの、
山際のへんろ道を散歩していて、

「考えごと」をしている時に、
よく、

「あっ、宇宙が考えている。」

と遊びのように
僕はよく思うんです。

私達の身体も心も、
天然100パーセントの自然物ですから、
当然、宇宙の「部分」ですよね。

そんな僕たちが、
「なにかを考えている」
ということは、
ある意味、

「宇宙が考えている」

と言えると、思ったんです。

僕たちが、
呼吸している時には、

「宇宙が呼吸している」

とも。

その時に僕はよく、
空性と死について考えます。

僕たちや、
僕たちが愛する人が死んでいったとしても、

誰かがこの場所にいて、
風が吹き、
草や木が揺れ緑をたたえていたとしたら、

そこには、
その人達の姿を、
見ることができるというのが、
ある意味での実際的な事実なのかもしれません。


自分への慈悲


なんだか、
ややこしい事を書いてしまいました。

しかし、
この場所で僕は、
出来る限り素直でありたいので、
ストレートに自分の考えを書いてみました。

しかし、
現実の問題として、
僕たちが慈悲の心を起こす事が、
いかに難しいかは、
みなさんも知っての通りです。
僕だってもちろん(?)そうです。

そこで、
僕はいくつかの提案をしようと思います。
(自分に対しても。)

それは、

「自分への慈悲」

をしっかりと考えることを、
まずは自分で許してしまっても、いいのではないかな?
ということです。

自分を一度、
他者のように考えて、

「この人は、どうやったら、
 心からうれしいだろう?」

とじっくりと作戦をたてること。

僕たちは、現実として、
生命や本能を抱えて、

「生きている」

のだから、

「自分もうれしい」

ほうが、
取り組みやすいと思うのです。


慈悲作戦をたてる(菩提心は一番の御利益?)


他者についても、
思いつく人の名前や顔を思い浮かべながら、
時にノートやパソコンに書き出しながら、
具体的に、

いつもより、
ちょっぴり時間をかけて、
作戦を立てて、

その人が、

「うれしい」「役に立つ」「助かる」

ことを、じっくり考えてみたいなと思います。

その時に、
自分→家族→友人→知らない人→社会→***
と範囲を拡げていけると、
いいかもしれませんね。


つまり、
「慈悲作戦」を決行してみませんか?
ということです。

無理をせずに、
出来る事からはじめる事も、
とっても大事だと思います。

そして、
他者や自分への慈悲の心をいつもより、
じっくりと追跡調査(!)することで、

「あっ、慈悲って自分にとっても一番、
 御利益があることかも!」

なんて結論が、導き出せたとしたら、
自分にとっても、すごくうれしい事ですよね。

それはささやかに見えて、
とても大切で大きな、
仏教の実行だと思います。

僕も「慈悲ノート」や、
パソコンの「慈悲ファイル」に作戦を立てて、
実行を楽しんでみようと思います。

しかし、
誰にでも優しくしようなんて、
無理をする事はないと思います。

無礼な他者に強烈な「ノー」を唱える事や、
一緒にいられない人に「別れ」を告げる事だって、

ひとつの大きな「慈悲」になり得るでしょうからね。


今回は、
なんとなく、
「道徳の時間」
のように感じた人もいるかもしれませんが、
僕としては、「存在論」のような意味も込めて、
大切だと感じていることを、
考えてみました。


ミッセイ

続・坊さん
「ほぼ日刊イトイ新聞」での連載「坊さん」の続編的連載。今回の連載では“仏教をやってみる”という事を、大切なテーマにして、お話を進めていきます。

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