メインメニューをとばして、本文エリアへ

思い出す空海

第2回 銀河と書

「南峰に独り立ちて幾千年
 松柏(しょうはく)を隣と為す 銀漢の前
 日を戴(いただ)き 蘿衣(らい)して 物外に久し
 函書(かんしょ) 今 向ふ 相公の辺」(漢文書き下し)

「南の峰にそびえ立って何千年
 松や柏(ひのき)ち隣り合わせで銀河の前
 日を上に戴き、つたの衣を着て、長く俗世の外にあった
 函(はこ)に収められた書簡として、今相公の傍(かたわら)に寄す」(現代語訳)

(『遍照発揮性霊集』巻第一)(『弘法大師空海全集六』一P181)

 南峰とは高野山のことです。今でも高野山の流派のことを「南山流」と言うことがあります。この書は、桓武天皇の皇子である良岑安世(よしみねのやすよ)に送ったものですので、相公とは、彼のことでしょう。
 私はこの文章の中に、弘法大師の修道観と言葉に対する価値観がよく表れていると感じました。
 時を越え、空間を越える修行の中では、一瞬も永久のような時の積み重ねも、私たちが一般的に考える範疇には収まらないようです。そして、松や桧の生い茂る山深い修行の地の中で、行者が対面するのは、銀河という宇宙です。
 「密教や弘法大師の思想は、宇宙的な視野を持ったものだ」とよく評せられますが、このような、弘法大師の言葉の中にも、その一端を感じることが出来ますね。
 この言葉の中から、私達自身が宇宙なのだという気分を再び感じました。
 そして、「函(はこ)に収められた書簡として、今相公の傍(かたわら)に寄す」の部分から、共有する空間が離れていても、文字によって、言葉によって、あなたのすぐ隣にいることができるという、弘法大師の言葉に対する敬慕の想いが感じられるような気分になりました。
 「この文字、言葉が私なのです」
 今に至るまで、弘法大師のそんな言葉が聞こえてきそうです。

思い出す空海
弘法大師・空海はたくさんの書物や詩を残しています。その中でも、僕達の生活に響く言葉や、密成住職の好きな言葉をショートエッセイと共にお届けします。