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仏を感じるコトバより

第1回 僕達は、はじめられる。

この連載では、
普段の生活の中で出会った、
自分の琴線に触れた言葉を、
きっかけにして、
考えた事をメモのように書いていきたいと思います。

2006年秋、
チベット仏教の法王、
ダライ・ラマ14世は、
広島、宮島で数日間にわたって法話や儀式を執り行い、
僕も参加させて頂きました。

長い法話の後での、
1日の最後は多くの場合、
参加した方からの質問を受けていたのですが、
ある質問をきっかけにして、
法王は、こんな言葉を口にされました。

「そしてその次に何かするんです。
 助けるんです。他の人達を。
 貧しい人達を。困っている人達を。

 そうすれば感じるはずです。
 
 自分の人生の目的を。

 自分も何か貢献できるんだ。
 自分も何か役に立てるんだ。

 それを必要な人がいるんです。

 そうすればあなたも
 充実した気持ちになるはずです。」

ダライラマ法王は、
ほとんどの法話をチベット語で、
行っていたのですが、

この部分は、
気軽な会話のような場面でしたので、
英語で話されていました。

言葉だけを文章にして読むと、
道徳的な言葉に響く方も、
もしかしたら、
おられるかもしれませんが、

この時の、
法王は本当に、
心から言葉を発する人が、
どのような迫力を持つのかということを、
体現されているかのような、
ものすごい迫力でした。

その中でも、
強く心に残っているのは、

「自分の人生の目的」

というあまりにも、
大きな言葉がさらっと出てきて、
さっと答えた部分でした。

それを法王は、

「他者を助ける事で気付くはず」
と端的に答えられました。

そして、
それによって、
自分自身が救われるんだ、
と仏教の持つ、
慈悲の力について、
力強く話を進められました。

そう言っても、
なかなか、ここで、

「よし、そうか、他者のために生きるぞ!」

と言い切り、
実行できる方は、
本当に少ないと思うのですが、
(僕を含めて)

助けを求めている人や、
自分が助けられる人が
実は、
自分の近くにもいるかもしれない、
と考え始めるだけでも、

なにかが、
少しずつ変わっていくなかもしれない、
と想像しました。

「助ける」ではなかったとしても、

「暖める。」
「笑わせる。」
「元気づける。」

そんなことだったら、
僕たちにも出来る事が、
あるのかもしれませんね。

この日の最後に、
ダライラマ法王は、

「私は思います。
私たちはスタートできます。」
(I think…… We can start!)

と発し、笑い声をあげられました。
会場の僕たちも、
それにつられて一緒に笑ったのですが、

今聞き返すと、
とても感動的に響く言葉です。

そうです。
僕たちはいつだって、
スタートを切れるんです。たぶん。

 
最近、原田郁子さんの音楽を、
車の中でよく聞きます。

原田さんはバンド「クラムボン」
のボーカルとキーボードもされています。

原田さんの、
やさしく繊細で強い声とメロディー、

断片的に頭に飛び込んでくる、
詩的な言葉で十分満足して、

あまりしっかりと、
歌詞を読んでいなかったのですが、

「みんな愛の歌に背つかれて
 与えるより多く奪ってしまうのだ。」
   (アルバム『気配と余韻』の「Driffer」より)

などという言葉から、
自分の生活やダライラマ法王の言葉を思いだし、
ありふれた言葉から溢れ出す、
込められた気持ちの強さに驚きました。

「この街の空の下
 あなたがいるかぎり僕は逃げない。」
     (同じく「Driffer」より)   

“あなた”という存在が、
この世界にあってくれて、
本当によかったな、と感じます。

それは、そのまま、
“私”という存在があってよかったな、
という事ですものね。

新しいアルバムも楽しみです。

仏を感じるコトバより
ある言葉をきっかけにして、ふと考え始めた事をメモのように、書いておこうと思います。