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思い出す空海

第1回 透明な心のちから

「是非(ぜひ) 同じく説法なり
 人我(にんが)ともに消亡す
 定慧(ぢゃうゑ) 心海を澄ましむれば
 無縁にして毎(つね)に湯湯たり」

(『遍照発揮性霊集 巻第一』「山に遊びて仙を慕う」より)
(書き下し文、原文漢文)

現代語訳

「正も邪も等しく如来の説法であり
 自他の区別は消え去ってしまう
 禅定(ぜんじょう、瞑想)の智慧によって、
 心の海を透明にすれば
 際限なき慈悲は常に拡がり行く」

(筑摩書房『弘法大師 空海全集』第六巻より引用)


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この連載では弘法大師(空海さま)の言葉の中で、
ふと僕の心にとまった言葉を、
みなさんに紹介しながら、
お話を進めていきたいと思います。

今回あげた「性霊集」(しょうりょうしゅう)は、
弘法大師の詩文・碑文などを集めた書物のことです。

この「山に遊びて仙を慕う」の文章は
とても宇宙的な視点で仏の世界が描かれた、
美しい内容ですので、
ぜひ図書館などで全文に
皆さんにも触れてみて頂きたいな、と思います。

弘法大師は、
この引用した部分の前で、

仏の世界にふれる事のない生活を、

「欲望にしばられることは、
 葛(くず)のつるが伸び
 生い茂って山や谷にはこびるようなもの」(現代語訳です。)

と表現しています。
まるで僕(達?)の生活のようですね!

そして、

「禅室に閉じこもり
 澹泊(たんぱく)な気持ちを抱いて
 仏の世界に遊ぶ方がよい」

としています。

若き日に四国の山や海で修行し、
宗教者として名声を得た後にも、
静寂と瞑想に適した場所を求めて、
高野山に向かった、
弘法大師らしい言葉ですね。

そして、
その瞑想の中の世界が、

正しいとか、
誤っているとか、

自分とか、
他者とか、

そういった状態を離れている事を、
瞑想と静寂への親愛なる気持ちを込めて、
瑞々しい言葉でつづられています。

その中でも、
僕は、

「禅定の智慧によって心の海を透明にすれば」
(定慧 心海を澄ましむれば)

の部分が、
あこがれのような気持ちもあって、

特に綺麗だなと思いました。

今年、
僕の31歳の誕生日に友人の僧侶から、
バースデイカードが届きました

そこには、

「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」

という宮沢賢治の言葉が添えられていました。

この「透明」という、
イメージ、言葉、感覚は、
これから僕たちが宗教や仏教、
弘法大師が日本にもたらした密教を考えるうえで、
とても大切な言葉になると感じます。

密教では、
儀式の中心となる僧侶は、
多くの場合、
透明な水晶の念珠(数珠)を用います。

我々は、
たしかにここにいる。

でも時に、
ここにありながらも、

どんどん、
ふっと宇宙の透明さの中に、
気持ちよく吸い込まれそうな、
フィーリングを感じる事があります。

それは、
自然の中に身をゆだねている時や、
特別な音楽や芸術に触れた時にも、
そう感じる事があります。

もしかしたら、
恋愛をした時にもそう感じる事も、
あるかもしれませんね。
(欲望にしばられているのでしょうか。)

しかし、
その透明な感覚と、
うまい交通手段を持っている事が、

僕たちの生活や社会が、
居心地が良かったりすることにも、
繋がっているような気がします。

そして、
今ここに生きて、
いつか死ぬという事を、
(あるいは誰かとの別れを)

底の方から暖めてくれる、
なにかがあるのような気がします。

そして、
その透明な意志が、
壊れやすい弱いものではなくて、

「巨きな力と熱」や「際限なき慈悲は常に拡がり行く」

というような、
力強い熱風を感じさせられるものだとしたら、
僕はちょっとわくわくします。

思い出す空海
弘法大師・空海はたくさんの書物や詩を残しています。その中でも、僕達の生活に響く言葉や、密成住職の好きな言葉をショートエッセイと共にお届けします。